くふうしてけいさんしてどうするんだ
土曜日から火曜日まで会社が連休になったので、結局今年は夏に来れなかった長野県の松本に秋の今頃になってようやく来ております。もう10年近く、毎年1回は必ず訪れる事にしてるので。今年は火曜日まで2泊。
ただ"雨男"の本領また発揮で、今年もまたまた雨(苦笑)。
この旅行の件はまた後日。しかし最近はしょぼいホテルにも無線LANが来ていて便利だね。
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さて本題。
先日細野真宏氏の数学の事を書いた本をご紹介したが、そこに書かれている内容にかなり関係深いと思われるこんな記事が。
「小2の算数が複雑すぎる」という噂
先日、ネットの掲示板で「小2の算数複雑すぎワロタ」といったスレッドがたち、一部で話題となっていた。
件の問題は、
「くふうしてけいさんしましょう」というもの。
たとえば、以下の「52-8」という問題、「くふうしてけいさん」すると……。
<12から8をひいて4→40と4で44>
<52から2をひいて50→50から6をひいて44>
これ、2年生でも暗算ですぐ計算できてしまうもので、大人ならなおさら瞬時に答えがわかるだけに、「なんでそんなめんどうくさいことを?」と思ってしまう。
これ、まさに細野氏の指摘している「小学校の算数に理屈を持ち込みすぎるとかえって算数嫌いが増える」というものの良い例ですな。
教科書を書いている偉い数学・教育学の学者さんが「小学校の頃から式自体の意味を理解させないと中学/高校の数学も得意にならない」と完全に勘違いした典型的な例だと思います(笑)
こんなごちゃごちゃした説明が延々と教科書にされていると、ほとんどの小学2年生は算数の引き算が嫌になると思う。
算数の「繰り下がりの引き算」というのは、まず最初は確かに「十の位から10を借りてきて」ナンタラカンタラ、という事を学ぶが、じゃぁ最終的に計算する時にそんなのいちいち考えてないだろう。上の問題なら、1の位の「2」と「8」を見て無意識に1の位が「4」、という思考を働かせる(「1の位が2-8なら4」という式と答えの数字の組合せを覚えてしまって、それで暗算する)のが普通の人の計算の仕方だと思う。
細野氏が先日紹介した本で書いていたのは、小学校の「算数」は、中学以降の数学を、「数学的思考力を付ける」という意味で理解しようとする際に、どうしても最低限の基礎知識として身に染み付けておかなければならない計算の方法・数字の扱い方を学ぶものだと。
引き算の繰り下がりもさることながら、一番代表的なのはかけ算の「九九」。あんなの掛け算の理屈を1個1個考えて毎回計算してる小学生なんて存在しないはず。
だから、算数の実力を付けた「究極の姿」は、ドリルとかで繰り返し問題を解いて暗記するなり、暗記した事を組合せる事で計算を解く作業に慣れる事で、ある意味「いちいち理屈を考えないで答えが出せる」様になる、というものであって、根本的に楽しい物では絶対無い、はっきり言って面白くない教科だ、と言い切っていた。
その代わりこの算数の力を「つまらないけど我慢して」ちゃんと小学校卒業までに身に付けてさえいれば、中学・高校・大学で学ぶ数学の理解力は圧倒的に高まる、そういう重要な位置付けの教科であると。個人的には、自分の生徒時代の経験を考えても、こっちの細野氏の意見に同意。(一応わしは数学は滅法得意で、高校入試も満点だったし、センター試験も数学I、II(当時)2科目とも満点でしたよ。自慢だけど(爆))
極端に言えば、中学・高校になってそういう「数学を解ける」頭が出来てから上の様な引き算を始めとした「算数で勉強したこと」の本当の意味を後戻りして考えたって、実際のところ全然手遅れでも何でも無いと思いますよ。
というか、みんな無意識に結構そういう事を頭の中で実践してるんじゃないですかね。
今から考えると、
最終的には「頭の中に描いていくらでも暗算が出来る」状態に仕立て上げるのが目的と言える「そろばん」
とか、
ある一定の点数を取れるまで次のステップには行かせずにひたすら繰り返し計算の練習をさせる「公文式」の算数の勉強法
などというのは、「算数力を付ける」事で、最終的に「数学力」を身に付ける為の、実は究極の方法なのかな、なんて思っている。(自分は子供の頃どっちもやってなかったけど)