今後の音楽ビジネス展望(大げさ)
さて、個人的な話で恐縮だが、明日出発で2年ほどドイツに滞在する事になった。
今まで日本の音楽業界のネタを何度か書いてきたが、取りあえずは現状何が起こっているのか、今後どうなっていくのか、的な纏めをここで書いて、このBlogでのネタ提供は取りあえず一旦区切りを付けようと思う。
まぁ、今じゃネットがあるので日本に居ても居なくてもあまりこういう分野に触れられる環境は変わらんとは思うがな、ただ、あっちでも日本に居る時と同じ物ばかり見ていてもあまり面白く無いし。
とりあえずこのBlogは残すが、場合によってはリニューアルして行く可能性もあり。まぁリニューアルと言っても背景程度かも知れないけど(笑)
参考文献としては、坂本龍一教授のこのコラムかな。これをきっかけに書いた、というのもあるので。
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昔、18世紀とか19世紀の頃(バッハ・モーツァルト・ベートーベンといった作曲家がいた頃)のヨーロッパは貴族社会。
作曲家や演奏家といった、音楽を生業とする人(プロの音楽家)の収入源は、王室や貴族の”パトロン”から支払われる金。当然そういう人達に向けた曲が主体。(限られた人向け)
映画「アマデウス」を見た人なら分かるでしょ、あの世界です。
あぁいう貴族階級の人はとにかく金だけは有り余るほど持っているが超ヒマで、労働とは一切無縁で、1日中芸術をたしなむのに明け暮れる様な生活。
だから当然金を払う音楽に対して要求されるクオリティはとてつもなく高い。
結果として、出来上がった物がどんなのかというと、それこそ当時の著名な曲がその後200年・300年経った現在においても未だに「クラシック音楽」として消えずに世の中に残っている、そういうレベルのクオリティ。
当時の音楽は当然直接の再現方法は「ライブ演奏」しかない訳だが、作品として完成された物を間接的ながら常に高精度に再現出来る様に開発されたのが「楽譜」。このお陰で、今の時代でも、今の演奏者が当時の「ライブ演奏」をかなりの精度で再現出来るわけ。
一方で、当時の一般の平民の間で広まる音楽は、作者個人の名前が前面に出た作品というよりは「詠み人知らず」的な位置付けで、祭りなどでいろんな人が演奏したり歌ったりしながら、人から人へ、世代間を伝わって行く。
録音機器などは当時は当然無いし、こういう地位の人達の音楽には楽譜もほとんど存在しないので、音楽を伝承する方法は基本的には「ライブ」の形で耳と口と文字を使う方法。
その後近代になって、フランス革命やらロシア革命が起こり、貴族社会から市民が主役の社会になった。
必然的に、音楽で収入を得るプロの音楽家の収入源も、貴族達から一般庶民に変わっていった。
しかし当然一般庶民ひとりひとりは、提供された音楽に対する対価は貴族ほどの単価では支払える訳がない。
ただし、お分かりの通り、支払ってくれる一般庶民は、単価は低いが「アタマ数」は貴族なんかより圧倒的に多い。
そこで、音楽家が、これまでの貴族相手の時と同程度の、生活するのに十分な収入を得るためには、単価が安い分、数で稼ぐしか無い。
すなわち、より多数の市民に受け入れられる種類の作品を作る必要がある。(語弊もあるが、クオリティそのものより「受け入れられるか」の要素が先んじる)
さらにその後、これまで「ライブ」でしか表現出来なかった音楽を形のあるもの(メディア)に記録してほぼ永久に保管・いつでも再現出来る機械として、蓄音機が発明された。これはその後レコードになっていく。
この機械の発明によって、音楽家が「ライブ」で演奏せずとも、自分の曲の音源をその機械でコピーして売り、間接的に収入を得る、という新たなビジネスモデルが生まれた。これが「多数のユーザに向けた商売」へのさらなる加速につながった。
その後さらにステレオが開発され、音源を提供する手段(=メディア)はレコード・CDと変わって来て、音質の向上が一気に進んだ。
しかし、メディア(固体)に音源を記録して売るというビジネスモデルはかなり長い期間変わらず続いた。
ところが、1990年代になると「インターネット」が登場し、その後10年・20年掛けて、徐々に音源を提供する環境がほぼ100年ぶり?に大きく変わる事になる。
「音」という形の無いものをやり取りするのに、これまで必要だった固体の媒体が不要になって、「データ」という、形が無い状態のままでのやり取り(すなわち「ネット配信」)が可能になった。
当初はご承知の通り低音質だったが、これはさらに固体メディアの蓄音機→レコード→CDの流れと同様、年を経る毎に品質が向上していき、気がつけば、固体メディア上に載る音楽の品質に対し、一般人には区別出来ない位のレベルにまで追い付いてしまった。
形の無いものを形のあるものに載せる、というコスト・形のあるもの(メディア)そのもののコスト・輸送コスト云々が配信では全く発生しない。当然、配信の方が圧倒的に安くなる。(それこそ坂本龍一の言う通り、ゼロに近くなる)。
そうなれば、一般庶民が安い方を選択するのは当然。legalだろうがillegalだろうが、同じ品質のものがタダで手に入るのなら誰だってそれを入手しようとする。
これにより、音源自体の単価が価格破壊的に安くなる現象が起こり、音楽家は当然ながら「従来のメディアの形で楽曲を売る、というビジネスモデルに乗ることで得られていた収入」を得る事が一気に困難(というよりは「ほぼ無理」)になる。
ただでさえ、一般庶民は1人辺りが音楽に支払う単価が少ないので数で勝負するしかなかったのが、その単価がゼロに近付く事で、もう数で勝負するにも限界のレベルに来てしまう、ということ。
そうなると、音楽家が生きて行くには、もはや従来のビジネスモデルを変えるしかない、という事態に追い込まれている、今はちょうどその過渡期にあたると思う。
では従来のビジネスモデルをどう変える必要があるのか。
現状、実行されている方法論は主に2つ。
- 「一般庶民」と異なる、より単価の高い客層にビジネスの対象を変える。
- 音源を売って利益を得る、というビジネス形態そのものを変える。
これのどちらか1つだけを選ぶ、という類の物ではなく、そもそも2種類の方法論は全く切り口が異なるので、2つの戦略を両方同時に実行することだって出来る。
主に1の手段を選んだのが日本で言うとジャニーズやアイドル系の人々。もちろん「握手会付き」「イベント付き」など、2の要素も併せて取り入れている。
その「より単価の高い客層」は、当然今の時代には貴族階級というものは事実上存在しないので、一般庶民の中から開拓してターゲット化していく必要がある。
現状は具体的はこんなところか。もちろんあくまで「ターゲットとする主な客層」であり、振れ幅は当然存在するが。
- ジャニーズ主体の男性アイドル・・・親からもらったお小遣いやアルバイトの金でCD買ったりコンサートに行ったりする、10代・20代の女子中高生層を中心とした、昔ながらの「男性アイドルの追っかけ」層の女性達。
- 男性韓流アイドル・女性アイドル・・・狭い範囲に人並み以上に興味を示すマニアックな人格で、なおかつ高い可処分所得があるので2の様なビジネスモデルに付いていってくれる客層。すなわち社会人・主婦層。
一方2の「ビジネスモデルの形態そのものを変えていく」のを主体にした例というと、海外で従来のレコード会社とは異なるイベント会社と360°契約を結んだMadonnaとか、音楽以外の分野で自分のキャラクターを利用して商売をする人。もっと言えば、歌手が本業の音楽以外に自分の顔でTVで役者やったりモデルやったりCMに出たりするのも広い意味ではこのケース。
その結果、メディアorネットに関係なく、ただ「大多数の一般庶民向け」に受け入れられる様な物を目指して音源を提供して、数をこなす事で収入を得る、そういう近年まで主流だった音楽ビジネスから、プロの音楽家は徐々に距離をおきはじめている。
これが「音楽チャート」の形骸化につながっている。
では、そういう「限りなく価値がゼロになってしまった」音源を、マニアでない人も含めて誰もが無制限で触れられる場所で楽しむ場所はあるのか、というと、今の社会では当然「ネット」の中になるのでは、と思う。
そういう場所にはどういう人が集まるかというと、極端な話、「ただ音を作って鳴らすのが趣味で、楽しいから自発的にやる」タイプの"無名"の人々。それこそ昔から祭りやなんかで音楽を演奏して楽しむ一般人と同じ。
そこには「商売」の要素は基本的には無い。ただ「好きな人」がやってるのもあって、決してクオリティは低くない。
それが今の時代のニコ動でのボーカロイド「初音ミク」で作った音楽、的な物に該当するって事なんじゃないのかな。
ただ、昔の「一般大衆の間に広まった音楽」的な規模と比べればまだまだ相当狭い範囲での広まりではあるが。(正直、こういう世界に全く触れたことの無い人が世の中では大半だと思うし)
以上を踏まえて、今後の音楽業界がどういう方向に進んでいくか、というと。まだ結論っぽくはないが、今の時点ではこの程度の事しか言えないかな。
・プロの音楽家が発信する音楽については、まずメディアの固形物が消滅してデータ化に移行していくのは時間の問題。曲の単価も限りなくゼロに近くなり、ライブや音楽家の周辺グッズ等の総合的なパフォーマンスに対して対価を支払ってくれる客層を構築出来る人が生き残る世界になる。
以前より厳しい様にも見えるが、何てことはない、極論すれば昔のバッハやモーツァルトの時代と同じ(笑)。
アーティストとしての能力もさることながら、どういう「パトロン」を得る事が出来るかも生き残る為の重要な要素になっていく、ということ。
・大量の一般庶民の中に存在する音楽は、正直どういう方向に向かっていくのかちょっとまだ不透明な感じがする。
個人的にはニコ動での「初音ミク」系もネット内のマニア層に留まっている感じがするし、これが果たして今後キャズムを超えて大多数の一般庶民に広まっていくかというと、個人的にはあまり可能性は高くない気もする。ネタにされる対象の音楽の種類にもよると思うけど。
もしそういう音楽が今後残っていくとすると、今のネット上の形とは全く違う物が今後現れて一気に広まる、そんな可能性もまだあるんじゃないかな。
こういう時に逃げの言葉として便利な「過渡期」という言葉でごまかしておこう(笑)
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では、明日よりそのバッハやベートーヴェンの居た国に行ってきます(笑)
ごきげんよう。