フォト

Twitter

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ

アクセスカウンタ

  • (Since 2006.4.1)
  • 累計: 検索エンジン登録
    本日: SEO対策
    昨日: メール配信

    アクセスアップ

心と体

2009.10.11

論理的にものを考える、ということ

リアム・ギャラガー「オアシスは終わった」

すなわち、この夏、殺人的スケジュールの合間を縫ってフジロックに1日だけ行って彼らを見て来たわしは「勝ち組」という事でよろしいでしょうか(笑)
まぁ、数年後にサマソニあたりにあっさり「再結成」とかで出て来そうな気もするが。

----------

この前に受けた研修で講師が言っていた事で、なるほどと思った事がいくつかあって。

まず1つが”天才”という言葉の定義。
頭の中に入っているアイデアというのは誰しも色々、数多くあるはずなのだが、大事なのはそれをちゃんと「目に見える形」で外に出すことが出来るか、という点。で、その「外に出す」形態はほぼ100%近くは「言葉」を使うことによって、であると。(例外としては、絵とか形とかの「イメージ」が使われる例もあることはあるが、その場合も「言葉」の補助は不可欠)

で、”天才”とはどういう人かというと、生まれつき、特に意識・努力をしなくても、頭の中のアイデアを「すぐに」「いくらでも」外に見える形に出す事の出来る能力を持った人、という事だ、と。なるほどなと思った。
そして、そういう”天才”の、分野に関係無く全てに言える共通のキーワードは「早熟」「多作」
エジソンは伝記本で恐らくほとんどの人は子供の頃のエピソードは知っていると思うが、小学生時代からその天才の片鱗を現していて、かつ、とてつもない量の特許を出している。
モーツァルトも全く同じパターンだわな。最近の音楽業界で言うとマイケル・ジャクソン。
日本の有名人で”天才”に分類されるというと、やはり信長とか坂本龍馬、学者方面だと平賀源内あたりか。

で、こういう人達は世の中の大多数の人とは違う世界を持って生きているために、既存の社会に完全に適応出来ない人達が多く(エジソンも小学校をやめさせられた)、結果的にその社会をたった1人の力で変えてしまう事が出来るが、一方で悲惨な結末を迎える人がかなり多いと。モーツァルトやマイケルや信長や龍馬や平賀源内がどんな最期だったかを見れば分かるわな。

----------

ただ悲しいかな、そういう”世界を変えられる力を持つ天才”は人間の総数に比べてものすごく数が少なく、我々がそうである確率もものすごく少ない。
じゃぁ我々凡人が彼らのレベルまではいかずとも、頭の中のアイデアを、極力頭の中に取り残さずに外に言葉を使った形で表せる様にするにはどうするべきか。
それには

  • とにかく書き出す(何でもメモを取る)、すなわち「形になっていないアイデアを、目で見える”言葉”に変換する作業をする」くせを付ける
  • 論理的に筋道を立てて何でも物事を考える様にする

のが重要である、と。
2つは違う様であって実は同じ様なもの。なぜなら論理的に考えるというのは、事実・仮定及びそれらを結ぶ筋道を「言葉」に変える、という作業でもあるから。

自らの力で言葉に出来ない、外に出せないと全く意味は無い。
既に外に出された物に対して評価する、と言う作業は、誰だって才能が無くても、それこそ「見える情報だけを頭に叩き込んでおく」だけでも出来てしまう作業だから。
それは「コロンブスの卵」を見て「そんなの誰でも出来る」と言う人間と同じである。そういう人間は一生自分では何も結果を出せずにそういう事を全ての物に対して言い続けているだけ。悲しいことに、世の中にそういう人が多いのは、それこそコロンブスの時代からの事実。

----------

さらに、論理的に考えるには当然「どういう切り口・軸(ものさし)で色んな事実や仮定を評価するか」という事を常に考える必要がある。軸(ものさし)という点では、その軸に並ぶ物でモレが無いか、それぞれの比較物がより具体的かを常に考える事が重要。いわゆるMECEってやつだな。
それもそうだが、より問題なのは「ものさしと切り口」の場所。
これはとにかく同じ物を色んな角度で切ってみる、という作業をひたすら繰り返すしかない。そういう事をするくせを頭に付けておかないと、我々の頭の中にある「バカの壁」を崩すことは出来ない。
それはなぜか。
まず、「バカの壁」を崩すには、評価の切り口を「バカの壁」に一致させる事が必要。
ただ、じゃぁその切り口がどこにあるか。それは「とにかく色々試し切りしてみる」以外には方法は無い。だって「自分では自分の頭のどの場所にあるのか分からない」のが「バカの壁」だから。

目で見えない背中のかゆい所を掻くのに人はどうしますか?「かゆい所」の場所を特定する為にいちいち座標の位置を計測して、なんて情報収集をする人はいないだろう。だれだってまずは行き当たりばったりでも「適当に掻いてみる」はずだ。その方が絶対かゆい所に「より早く」手が届くから。

実は普段の仕事もそれと全く一緒で、情報収集ばっかりしてると、本来その仕事や研究は何の目的でやってるのかがあいまいになっている事ってかなり多いのでは。
「目的が何かを常に意識」して、「とにかく仮定を含めた結論を出してみて、さらにそれに至る仮定の部分を情報収集によって精度を上げていく」という”結論志向”で仕事をする方が間違い無く速く結論を出すことが出来るし、目に見えない潜在的なニーズも見付けやすくなる。

----------

そういう作業を頭の中で行うくせを普段から付けておけば、それをやってない人と比べて「頭のアイデアを他の人よりたくさん外に出す事が出来る」、すなわち「しまった、それなら出来たのに」と思う頻度を下げる事が出来ると。
「しまった」ってのは、「頭の中にそもそもあったアイデアが自分が出せないのに、自分と競合する相手が”先に”出してきた、それを目や耳で知った為に”アイデアを出す事が結果的に出来ていない自分”に気付いた」そういう時に発する言葉。
で、世の中のビジネスというのは基本的に同じレベルの能力の人が競合しているわけだから、ほとんどが「しまった」の思い・思わせ合いである。

その逆が「まいった」、すなわち「自分がどれだけ無限の時間を掛けても出す事の出来ないアイデアを相手が出してきた時」だが、これは元々自分の能力が相手より明らかに劣っている事を示す訳だから、普段「まいった」ばかり思っている人は、本来そのビジネスを続ける資格が無い(他者の競合相手になりうる力を持っていない)証拠なので、即座にそのビジネスから撤退しないといけない。
そもそも世の中の全ての業界は、競合相手の間に「圧倒的な能力差がある」ままで何年も続く事は有り得ない。圧倒的に能力の高い人は普通は自ら他の「もっと平均的な能力レベルがその人と同等に高い集団」に去っていくから。
スポーツ・特に野球の業界が一番分かり易い。日本のプロ野球からメジャーに行った野茂やイチロー、松井を見れば分かるだろう。それが本来の正常な「人間の集団」の姿。
そういう意味では、日本の大相撲の場合、近年は「神事」の要素が薄れて「スポーツ」の要素が濃くなった為に組織全体がおかしくなった、とも言えるな。圧倒的に強い人がずっとそこを離れず上に居続け、弱い人がずっと下に居続ける状態が延々と続くと、上も下も互いに競合しようという意識が薄れてしまう、それが今の状態なんじゃないかと。

----------

で、以下は「その後」の実体験の話。

週末会社に戻って来たら早速「今日中にアメリカの支社に回答しろ」というタスクをいきなり突きつけられて、職場にはそのネタになる検討までは進めてくれていたのだが、纏めて回答するのはお前でやれと。
早速やってみたのは「そのメールでアメリカから問い合わせのあったことを自分のノートにもう1回書き出してみる」という作業。それをやったら結局「何を答えれば良いか」という”目的”が目に見えて明確になったので、纏める作業は相当短く済んだ。
とは言っても雑用とか何とかで半日潰されたので、結局終電まで帰れなかったが(苦笑)
こういうのを実体験として感じるって事が大事よね。それが無いと、座学だけではなかなか体が覚えてくれない。

----------

というわけで、まとめると

  • とにかくまず書き出してみよう。
  • まずは仮定が混じっていて良いから結論を「叩き台」で出してみよう
  • 色んな切り口で考えよう

てのがビジネスに限らず、社会での活動で自分が結果を出す為の根本的な所では大事だ、という事ですな。

2009.09.21

「会話術」について。

酒井被告夫妻のピンクハウス、火あぶり!

のりピー別荘放火か 勝浦「ピンクハウス」丸焼け

ピンクハウスが黒こげハウス…のりピー別荘全焼!

一連のこの見出し、記事を書いてる記者は楽しんでいるとしか思えない(爆)

----------

Madonnaが今週リリースするベストアルバムに収録の新曲"Celebration"のPVがカッコ良すぎる。

この人、現在51歳だが、実は"Like a Virgin"がヒットしたのが25年前の1984年って事は、その時点でもうこの人26歳だったって事ね。まぁデビューするまでは結構下積み長い人だったって聞くから。
その間、ほぼ1,2年ピッチでコンスタントにアルバムを出し続けて、未だに曲・容姿含めてこのクオリティっていうのは、やっぱり並の人間じゃないな。

----------

前置きが長くなりすぎた(笑)

人を動かす話し方講座:自己アピールの秘けつは、あえて自分を“売り込まない”こと

ということで、自己アピールのテクニックについて、いろいろな方たちの相談に乗ったり、セミナーで教えたりしているのですが、私が見ている範囲では、多くの人は自己アピールがうまくないようです。

 しかも、自己アピールがうまくない一番の原因は、なんと、


・自分のことを一生懸命アピールしようと思っているから


 なんですよね。実は、本当に効果的に自己アピールするためには、

・まずは自己アピールをしない

 という意識を持つことが、重要なんです。

しかしながら、世の中にはこういった、相手が求めてもいないことを一生懸命アピールしてしまうという、される側にとってははなはだ迷惑な自己アピールというものが、結構あるんです。

 つまり自己アピールする前に、アピールする相手の気持ちや求めていることを、まずはしっかり確認する。その上で、その人に響くアピールポイントを自分の中で見つけ、そしてそれを会話の中で見せていく、ということが、本当に効果のある自己アピールなんです。

 自分の強みをいかに表現するか、という意識の前に、相手はいったいどんなことを求めているのか、ということに意識を向けてみると、効果的な自己アピールができるようになるのではないか、と私は考えています。

結構前からアップされている記事だが、今更ながら目にウロコ、というか。

以前から自分の仕事もその他も含めた生き方の中で一番大事にしてるキーワードは、以前から良く採りあげている、ある研修で教わった一言

コミュニケーションは受け手が決める、意図ではない。
Communication is response, not intention

なんですが、ここでも言い方は違えど全く同じ方向性の事を言ってるなぁ、と。

で、この人のコラムのバックナンバーを追い掛けていくと、さらに興味深い記事が1件。これも、自分自身、TV番組を見ていて随分前から薄々勘づいていた事そのまんまの内容で。

人を動かす話し方講座:相手を乗せて話をさせる“さんま流”相づちテクニック

あの人、お笑い系の人ではありますが、ほかのお笑い系司会者の方と比べて明らかに突出した能力があります。それは、

・人に面白いことを言わせる能力

 なんですよね。

 彼の番組をよく見ていると、
爆笑のポイントはほとんどの場合、さんまさん自身ではなくゲストや出演者です。

 島田紳助さんやタモリさんのような、ほかのお笑い系司会者の番組を思い出していただけると、違いがよく分かると思います。普通のお笑い系の司会者は、自分自身で笑いを取ってきます。

 しかしさんまさんは、
自分で笑いを取ろうとはあまりせず、あくまでも笑わせどころは出演者に持たせますよね。そのとき自分は指し棒で机をたたいたり、床に寝転がったりと笑う側に回っています。

 人からこれだけ笑いを引っ張り出すことができる力って、ものすごいと思いませんか? その面白い話を引き出す技の1つが、

・相づちのテクニック

 なんです。

さんまという芸人の話芸のすごさはまさにこの人の指摘する点ですよ。
あの人、絶対にトーク番組では自分は主人公にならないんです。主人公は常にゲストの芸能人。

アレを見て、「さんま自身は全然面白い事言っていないのに、なんであんなにさんまがもてはやされるのか分からない」とかネットで悪口を書く人は、恐らく実社会で生の人間と仕事とかで真剣なコミュニケーションを取った経験が無いか、もしくはそういう場の経験はあるけど他人と全然コミュニケーションが取れてない(しかも、それを自分は取れてると一方的に勘違いしてる)人のどっちかでしょうね。
あぁいう会話の盛り上げ方を成立させられるのに、どれだけ会話のスキルを必要とするか。
素人がアレをやると結局お互いが一方通行の会話をして、それでおしまい、となるのがオチだと思う。
アレは単なる「ボケ・ツッコミ」で片付けられるスキルじゃないと思うよ。

あの話術は当然素人がすぐに実践できる領域ではないが、通常の会話でも常に「聞き上手」になる様に心がけようとしているところ。
かといって、ただ聞きっぱなしで黙っていてもそれはコミュニケーションにはならんし、なかなか難しいんだがね。それこそ「延々と何分も自分の事、しかも全然面白く無い話ばっかり喋ってしまう人」とか、必ず集団の中に1人はいるもんだし。

(やや強引な結びつけだが)音楽の世界でも同じで、上に紹介したMadonnaみたいに、ずっとトップで長年居る人ってのは、結局のところ「一般の”見る側”の人達が自分の姿・キャラクターを見てどういうイメージを持つか、もしくは普段から持っているか」っていう目で常に作品を作ったり、販売戦略を練ったりしてるんだと思う。
「自分は他の人と違ってこういう個性を持ったキャラクターなんです!」と一方的に見る側に押しつけるのが、個性のアピールと勘違いしている芸能人ってかなり多いけど、やっぱりそういう人達はそのうち見る側から飽きられるよね。
何か面白そうに見えても、1,2年ですぐに消えていく人ってのは大抵そのパターン。5年、10年トップで残ってる人は、例外なく、そういう「見る側の視線」を考えた活動をしているな、と感じる。

2009.08.29

自由、自由と言う前に。

8/27付日経朝刊のスポーツ欄に面白いコラムがあった。以前からたまにコラムを寄せている元西鉄選手で野球評論家の豊田泰光氏の文章。(この人は以前から文章はうまい)

記事のスキャンデータをアップしておいた。

着目した部分はここ。

自由を許すことは必ずしも個性をはぐくむ方向に向かわない。

「おれはこの芸で生きるんだ」という選手が少なくなった。自由にやった結果、平均的な選手が平均的な野球をやっているという具合になっている。
個性というのはむしろ、
絶対負けられない、絶対生きて出塁しなくてはという、縛りのかかった状況からにじみ出てくるものだろう。

実は今月号のRockin'on JAPAN誌にある、総編集長の山崎洋一郎の編集後記的なコラム「激刊!山崎」に、ジャンルは当然野球と音楽で違うけどすごく似た事を書いている物があった。
そちらは立ち読みなのでざっくり書くとこんな感じの内容(だったと思う)。

  • 最近、(アルバム)チャートに、既存の「一般庶民が聴きたそうな曲」を寄せ集めただけの”Various Artists”のオムニバス盤ばっかりが並んでいてつまらない事この上ないが、これは今の音楽業界が、アーティストの出してくる「新しい物」に真正面から向き合わない構造になってしまっているからでは。
  • 今の音楽業界は、アーティストに対して何の縛りも設けず、好き勝手にやらせておいて、結果がダメなら切る、という体制。だから各アーティストもそういう「放ったらかし」の環境でどういう形で自分のやりたい事を示すのか、という点を苦しんでいるのが分かる。

両方の文章を読んで思ったのは、結局どんな分野にも限らず、人間って、何も無い最初からいきなり「自由」を与えられてしまったら、結局周りと一緒でいたい、という意識が働いて、みんなが平均点の方向に寄り集まってしまって画一化されてしまう、という事なのでは。
例え面白いアイデアや個性をポテンシャルとして持ち合わせている人でも、それを表に出そうという気にならない、取りあえず周りと合わせておこう、的な空気になってしまう、というか。

豊田氏が言う様に、本当の「縛りのないオリジナリティ」っていうのは、何らかの”克服の難しい制限・縛り”が周囲から与えられて、当の本人がそれを突破したい、という欲求が無い限り、表面に見える形では出て来ない物なのかも知れない、という気になった。

それは音楽業界でも同じだと思う。プロデュース側やレコード会社側から「今の時代じゃそんなのは合わない」とか、もっと単純に「そういう曲調は嫌いだから、自分の好きなこういう曲調にしろ」みたいな否定的な意見を突きつけられて、それに対して「長い物に巻かれる」のか、反発して意見をぶつけ合って結果的に自分の意志を突き通せるのか、その辺りが
「トップクラスの”すぐ名前や顔が思い出せる”ミュージシャン」

「何だか他の人と同じ様な事やってる”名前が思い出せないけどあの人”的な印象しか持たれないミュージシャン」

の差を決めるんじゃないですかね。

----------

で、その山崎氏で思い出したのが、先日のRock in Japanでの出来事。
わしは都合で行けなかったが、例年このフェスは「モッシュ・ダイブ禁止」を客にしつこく要求しているが、今年はさらに厳しくなって、”1回目警告、2回目退場”を実行したんだとか。
座席も何も無い広い場所での夏フェスでそういう「制限」を主催者側が客に強要する、という行動の「本当の意図」は、ある意味上に書いた様な「上から与える克服の難しい制限・縛り」に該当するんじゃないですかね。
結局客側もモッシュやダイブって”周りがやってるからやってる”くらいにしか考えてない輩が実際は多い、という事を、主催者側の立場として彼も感じていたんじゃないの。そんな”覚悟”も何も無い中途半端な気持ちで暴れられて、その結果関係無い人に怪我人が出て訴えられたら、主催者側もたまったもんじゃない、と。

その事で、出演アーティストだったKen Yokoyamaが自分のサイトに文章を書いている様だが、これを読んで、ある意味この人は主催者側の「本当の意図」をちゃんと真正面から受けて理解しているな、という感想を持った。

そしてライブも後半にさしかかった頃、やっと自分のモヤモヤの正体が掴めた。
 その正体とは、「自由であるべきコトが制限されたコトに対する怒り」だった。

オレはあの日ステージで、「オレ達は試されてるんだ。運営側もミュージシャンも、キミ達観客も」と言った。つまり今後、それぞれの立場でそれぞれの観点からの主張をしていかないと、結局「長いものに巻かれる」コトになる。そして最終的には「ロック」という言葉の意味合いも変わっていく。それが日本の「ロックの歴史」になっていく。ボーッと見てるだけじゃ、数年後、或いは数十年後には「あぁ…日本のロックってこうなっちゃったのね」って言ってる、悲しいヤツになる。
 少なくともあの場所を心地良い場所にしたいなら、楽しい場所にしたいなら、キミ達も意見するべきだ。キミ達も闘うべきだ。

結局思うのは、「自由」を訴えるのは人間の当然の権利だが、じゃぁあなたは本当に自由を与えられたら何をするの、結局周りの人と同じ事するだけじゃないの、と。
本当に「自由」な行動、ってのは、周りから強力に縛られている環境から自らの「縛りに対する反発・怒り」の意志をもって抜け出す、ていう経緯がそこに入っていないと、結果的に表には出せない物なんじゃないかな、と思う。

2006.10.06

画期的な睡眠用具(w

深夜や昼休み、机に突っ伏して寝る人は多いが、昼休みに突っ伏して寝ると終わって起きたら額に真っ赤な跡が付いてなかなか取れない、というのは誰もが経験しているはず。
そんな、昼休みに寝る人の為に画期的な枕が登場した、との情報があった。
携帯手枕 ピノという製品である。

これを使うと、顔や腕に起きた時に跡が残ることもないし、突っ伏して寝る事で腕を直接押さえつけているせいで腕を痛める、という、ありがちな事も起きづらい様である。

一見画期的な製品だが、机の上で「いつの間にか」突っ伏して寝てしまう様なケースって多いと思うが、そんな時にこの枕があっても使われるか疑問(^^;;;;)


あとは会社の昼休みに使っていて周囲の目がどうか、という事か(w


Banner_03_115

2006.09.09

健康志向飲料

少し前まで、コンビニの飲み物売り場に良く「酸素入り水」とか「酸素水」とかいうのが何種類か並んでいたが、朝日新聞によるとやはり効果は怪しげらしい(w

人気の「酸素入り水」に効果なし? 国立健康・栄養研

一時期セブンイレブンのレジに近い所にも大量に売られていたりしたが、ここ最近急に店頭から姿を消した感じがする。
やはりメーカが思ったほどの話題にはならなかったのかなぁ(^^;;;;)。
確かに、真偽はともかく、いかにも科学的根拠が薄そうな感じだし(w

まぁ、これに限らず、リポDやチオビタといった、いわゆる一連のドリンク剤(コンビニで売ってる、医薬部外品の100円クラスのやつ)とかも、本当に滋養強壮・栄養補給に効いているのかというと疑問。と言いながらも個人的には飲んでるが(w

以前寮住まいの時に、同じ階の数部屋隣に100人が見たら100人が「この人虚弱体質」と分かるような風貌の人が住んでいたのだが、その人がある日の深夜に、寮のビン専用のゴミ捨て場に、リポDの空き瓶を数10個まとめて捨てる姿を目撃した時にはちょっと引きました(^^;;;;;;;;)。


Banner_03_85

2006.07.29

摂取量はほどほどに。

個人的な話だが(つーかこれほど個人的な話がほとんど書かれない個人ブログもあまりないとは思うが)、先週辺りまで、体がある症状に悩まされていた。
とにかく日中ずっと眠気が覚めない、という状態である。
ここ半年から1年ほどが特にひどく、まぁ睡眠時間が足りていないのは仕方ないとしても、例えば週末寝たとしてもあまり疲れが取れないという感じ。

で、当然日中の眠気は仕事にも支障を来すものがあるので、以前から大好きだったコーヒーを多く飲むようになった。
でも、段々コーヒーを飲んでも眠気が覚めない様になってきた。
それでさらに続けてコーヒーを飲みまくってそれでも眠気が覚めず・・・という感じで、気がつくと毎日、ひどい時には一日にコップで10杯近く飲む様な状態になっていた。

そこで先週末頃ふと自覚したのだが、ひょっとしてこれは体がカフェイン依存症(自分で勝手に命名)になっているのではないか、と。
続けざまに体内にカフェインを入れないと、ちょっとでも投入が止まると突然眠気に襲われる様になる、という症状に陥っているのでは、と思った。

これはいかん、と、ここで決心した「自己療法」は、非常に単純。コーヒー断ちである。
それまで1日最低5,6杯は飲んでいたコーヒーを、目標0杯、我慢できなかった場合でも1日1杯までにしよう、と決めた。朝食の後も、コーヒーから紅茶に飲み物を代えた(紅茶ももちろんカフェインは入っているが、コーヒーほどではない)
会社にいる時も、飲み物は水中心で、水以外の物を飲むにしても紅茶とかココアで徹底してみた。

で、その結果、一週間ほどして、確実に体が回復してきた感がある。
睡眠時間はそう変化無いにも関わらず、日中の眠気をほとんど感じない様になった。今日まで続いているので、恐らくコーヒー断ちの効果があったのでは、と勝手に想像。

で、たまたま先ほどWikipediaで色々調べてみたら。
この説明によると、カフェインって覚醒剤の一種なんですね(^^;;;;)
どうりで常習性があるわけだ。
(ちなみに「醒(せい)」はこの場合ひらがなでなく漢字。「覚せい剤取締法」対象で無い為)

というわけで、タイトルを「覚醒剤依存症克服記」にでもしようかとも思ったが、さすがにやり過ぎかと思ってそれは止めた(w

Banner_03_26

2006.03.22

WBCの急展開に思うこと。

決勝も打撃戦を制して日本がキューバを下して初代チャンピオンに。
今日は世の中は祝日だったらしいがうちの会社はそんな事全く知らない様で普通に出勤日であり、結局ネット経由で結果を知っただけだが、結果を見る限り投打が噛み合って良い勝ち方をした感じ。かつ8回まで1点差と、見る人を楽しませる要素も忘れず(w

それにしてもツキや流れが変わるのって恐ろしい。アメリカの自滅が無ければ準決勝にすら進んでいなかったのに。
2次リーグの1位2位が準決勝で直接当たるという意味不明のルールも2位の日本に圧倒的に見方してくれた。

これとか五輪(アテネ・トリノ)見てはっきり分かったのは、まぁ日本人に限った話じゃないのかも知れないけど、やっぱり心理的な面ってスポーツの大部分を占めるもんだな、と。
首の皮1枚つながってベスト4に残った日本としては、相手も2度負けている相手だし、もう負けても何も失う物は無い。
もちろん勝ちには拘るが、「勝たなければならない」という無用のプレッシャーは少なくとも日本には準決勝も決勝も潜在的には無かったのでは、と感じる。
ここでもし負けたとしても、日本人ファンもトータルには納得はしてくれるだろう、という意識が心理的に良い方向に働いてくれたのでは、と思う。

アテネ五輪で大量にメダルを稼いだ日本だったが、良く憶えているのは柔道で金メダルラッシュだったのに、前回の金メダリストとして「選手団の主将」を任され、「日本のエース」とマスコミも含めて(もちろん自分自身も含めて)みんな位置付けていた井上康生ただ1人がメダルすら獲れなかったこと。
柔道選手で最も「勝たなければならない」と意識して臨んだのは間違いなく彼だったわけで。
そういえば、女子レスリングでも主将格を任されていた浜口京子だけが銀に届かず銅に終わった。

スポーツに限らず、精神的にプレッシャーに弱い人というのは共通した部分があると考えていて、まず性格が根本的に真面目な人。そういう人は
「ここで自分が○○しなければならない
「自分は××できないといけない
という考え方に拘ってしまい、結果的に自分自身を追い込んで力を発揮できずに終わる、というケースが多いと思う。

自分も少し性格的にそういう所があって、以前は良く失敗していたが、これに気付いてから自分の中での物事の考え方を意識して変える様にした。
もし、自分が少しでも「○○しなければならない」と考え始めた事に気がつくと、そこですぐに頭を切り替えて、
「しなければならない、というけど、じゃぁ、しなければ何が起こるの?
と自問自答してみて、それを徹底的に第3者の目から考える様にするのである。
すると不思議なのだが、ほとんどの場合(10件のうち9件以上は)しなくても何も起こらないもんである。
そこで、「わしはこんな下らん事で何をそんなに悩んでいたのだろう。別にどーでもいいことだったんだな」と思えれば勝ちである。
もうそこからは「楽しく好き放題やれる」モードに突入出来るので。そうなれば失敗の確率は激減する。

もしいろんな分野において、そういう局面になった時には、ちょっとでも思い出していただければ。